e-mail:
nishimachido
@gmail.com

増補 民族という虚構


小坂井敏晶(著)
ちくま学芸文庫

★★★★★


 
この本で繰り広げられる論議については、既に「はじめに」で、くっきりと輪郭を描かれている。
  

 民族同一性は虚構に支えられた現象だという主張を本書は一貫して展開してゆく。 そのことはしかし、民族が現実の力を行使しないことを意味するのではない。虚構と現実とが相反するという常識がそもそも問題視されねばならない。  (…)  そしてさらには、虚構であるにもかかわらず現実を生み出すという消極的な発想から、もう一歩踏み込んで、 実は虚構のおかげで現実が生成されるというように、虚構と現実を結びつけている積極的な相補性を明らかにしよう。

(小坂井敏晶『増補  民族という虚構』p.005-006)

と、このような方向付けのもと、「民族」を直接的な題材にして虚構の姿を追い続け、 生物学、心理学、社会学など幅広い領域に渡って丁寧に検討していくのだが、 当方にとって最も印象深かった――まず衝撃を受け、やがてじわじわと得心していった――例は、 下記のHenri Tajfelのものだった。
  

 (…)例えば、硬貨を投げて裏が出るか表が出るかによって無作為に選ばれた半数の被験者を「紅組」と名付け、残りの半数を「白組」と呼ぶだけで、各被験者は自らが属する組をひいきにする。(…)  ここで我々の関心にとって大切な点は、自分の組の利益を最大にする意図よりも、自他の差を最大にする動機から差別が生まれる事実だ。例えば自分の組の構成員がそれぞれ一〇〇〇円を獲得し、相手の組の構成員が八〇〇円得る状況Aと、自分の組の人々が五〇〇円を手に入れ、 相手の組の人々が二〇〇円もらう状況Bのどちらかを選択できる場合、状況Aよりも状況Bを好む、 すなわち、自らの組が損をしてでも他の組との差が大きくなるような選択をするのである。

(同上p.036-037 , 原注(21)  H. Tajfel (Ed.), Differentiation between Social Groups: Studies in the Social Psychology of Intergroup Relations, Academic Press, 1978.)

 ところで、「補考」として2011年発行のこの文庫に付け加えられた「虚構論」では、 これまで切り口として来た虚構そのものが俎上に載って、駆け足ではあるものの論議は「世界が合理的に進行するならば、時間は消失する。そして、合理性からの逸脱が意味を生む」に至る。 そこには虚構をめぐった緻密で息の長い探求の現在が垣間見え、思考は勢い壮大
の色を帯びて来ているようで、 『民族という虚構』、『責任という虚構』につづく、いや、もしかするとそれらをも包括する、次なる『虚構』への期待が膨らむ。
U.U.