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アリス・アマテラス 螺旋と変奏


天沢退二郎(著)
思潮社

★★★★☆


 「私たちの詩はつねにカタストロフの彼方へ向かうであろう」という帯の惹句が、収録された詩篇からの引用ではなく、「おぼえがき」の、しかも[追記]からの引用であるというのは、 確かにキャッチーな文句だし気持ちは分からないでもないのだが、どうしても斬新というよりは奇異な印象を受ける。
 それならば、どの詩篇のどの部分が惹句に相応しいかを暫し検討したのだったが、 私なら、やはり表題作「アリス・アマテラス」から、ここを選ぶだろう。


 
さて問題のスーパー超新幹線超超特急の
 最高時速は一〇〇〇〇kmに達する予定だという

……は? 「超超」? 何それ? という感じがいい。こんなことを言えるのは、天沢退二郎でなければ男子小学生しかいない、 つまり「最高時速」「一〇〇〇〇km」を最高時速一〇〇〇〇kmで活字まで導けるのは天沢退二郎しかいない。
 そして、「スーパー超新幹線」。『アリス・アマテラス 螺旋と変奏』は、 近年の天沢退二郎の数多の詩篇を様々な乗り物が駆動しているのに引続いて、 この表題作に現れる「新幹線」と/すなわち「鳥」のイメージで満たされている、とまずは言えよう。

 当方にとってこの詩集の白眉は「〈帆船〉ショーのためのオード」で、

 あらゆる船渠に帆船を孕ませ

という行は、『朝の河』(1961)に収められた「陽気なパトロール」の

 ジュークボックスを堕胎させ

などの列挙の、シニカルなパロディとさえ思える。わざわざ「船渠」には「ドック」というルビが振ってあるが、 敢えて無視すれば、「帆船(ハンセン)」に「船渠(センキョ)」、「あらゆるセンキョにハンセンを孕ませ」とはこれ如何に?  ……となるわけで、60年代に対する懐古と皮肉の入り混じったオマージュは、時に「60年代詩人」と括られもする詩人にとって、 (下手すると輝かしい過去まで台無しになるという点でも)、些か際どい、それ故に極めて挑戦的な自己言及の試みだと思う。
 ここで、50年前の「老人は蹴とばし眼鏡だけはこわさず(陽気なパトロール)」に立ち向かうのは、 「象さん語録(〈帆船〉ショーのためのオード)」というかわいらしい言葉だ。左様、

 有為転変の毎日で
 あのころはみんな叫んでた
(〈帆船〉ショーのためのオード)

U.U.