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恋愛のディスクール・断章


ロラン・バルト(著)
三好郁朗(訳)
みすず書房

★★★★★


  『彼自身によるロラン・バルト』と、この『恋愛のディスクール・断章』を、随分昔から、繰り返し眺めて来た。 しかし、この読書体験をどのように表現すればよいものやら、……そもそも、そういうことを考えもしなかった。

 反射的に「繊細」などと口走ることは是非とも避けたい、だが、それなら、これは一体何なのか?  少女漫画や太宰治を読む時に期待している種類のカタルシスを、風呂上がりにいそいそと頁を捲る私は、多少なりとも得ているのではないだろうか? ――よろしい、しかし、これらは似てはいるが決定的に違う。これは抒情ではない。強いて言えば、抒情を論理に乗せる、もしくは、論理に抒情を孕ませる、という作業なのではないか?

 繊細な人間は、得てして勝手に雁字搦めになっており、その繊細さは作品行為を阻害する方向に作用しがちだ。恰も興奮すると声が裏返って逆にマイクに乗らない『日本の仁義』の野坂昭如のように……。 そして、その上擦った声にリアルを感じるのがロマン派の醍醐味で(ノヴァーリス『青い花』参照)、太宰治もどちらかと言うとこの口かと。しかし、ロラン・バルトは一味違う。興奮しながらも、それを演技に落とし込む、もしくは、演技から興奮を紡ぐ、――つまり、彼は古典派なの……か?

 やれやれ、歯切れが悪いのは、私が季節外れのロマン派である所以で、こんなことなら初めから、単にこの形式が好きだから何度も読み返している、とでも喋っておけば良かったのだ。

(…)要するに、いかなる恋愛も初源的なものはないのだ(マス・カルチャーとは欲望を教示するメカニズムである。これが諸君の興味を惹くものです、そう教えてくれるのだ。人間というものが、独力では欲すべき相手もみつけられないことを見抜いているかのように)。

  (『恋愛のディスクール・断章』p.207)

U.U.